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| 欲しかったもの… |
モノゴコロがついた頃、何だかわからない違和感が家庭内にあると気付いてから、私は人の顔色を見るようになった。
その違和感が父親の暴言暴力だと確信したのは私自身にそれがふりかかった時で、失神した私の横で幼稚園に通い始めた姉がビニール袋に氷を詰めて頭やほっぺたを冷やしてくれていたが、その隣にいた父親は駄目押しのように言った。
「お前が悪いんだぞ!」って。
私は姉と色鉛筆の取り合いになり、姉が貸してくれないのだと母親に泣きつこうと両親の部屋に入ったら、父親にぶっ飛ばされた。
あの時、父親は酔っ払っていつものように母親に暴力を振るっていて、そのとばっちりが私に向かった。
それが違和感だった。
その繰り返しが何年も続き、耐えられなくなった母親はとうとう家を出ていった。
私は自分の味方が母親しかいないと思っていたので、学校から帰るとランドセルを放り投げて母親がいる祖母の家に行き僅かな時間を母親と過ごした。
それを知った父親は逆上して私を殴り、「げんこつでもやるというものはもらえ!」などと訳の分からない言葉まで投げ付けてくる。
誰が嬉しくてげんこつなど欲しいものか!…と思うけど言葉には出せない。だって、そんなことを言ったらもっとひどい目にあうと分かっているから、ひたすら貝のように口を閉じて父親の気が収まるのを待つ。
その時間が非常に長く苦しくしんどい。
それでも懲りずに母親の元を訪ねるわたし。
母親にもそんな事が日常茶飯事あるなどとは言えない。
言うと「もう来ちゃだめだよ」と跳ね返されそうで。
でも、我慢できないくらい父親が怖くなると夜遅くでも家を飛び出て母の所に向かう。
時が流れて両親は正式に離婚。姉と私は生活力のある父親が親権を持つが生活自体それまでとなんら変わりはなかった!
が、私が母親に寄せる想いは相変わらずで、中学生になっても時間を見つけては友達の家に遊びに行くと嘘をつき、後先構わず母親に会いに行く。
帰ってひどい仕打ちが待っているとわかっていても。
その後母親は私に黙って祖母の家から消えた。祖母に聞いても母親の妹に聞いても一年くらいは教えてもらえなかった。
その時の母親の気持ちがどうだったのかは今でも知らないし、いまさら知ろうとも思わない。
そうやって私はずっと母親を追っていたので友達というとクラスが同じで校内だけの付き合いしかなく、いくら仲良しだったとしても、私が風邪で学校を一日休み翌日登校するとその友達は私を避け違う友達と仲良くなっていて、私も仲間に入れて♪と言っても相手にしてくれなかった。
私が何か悪い事を言ったかなあ?傷つける事したかなあ?と考えるけど、鈍感過ぎて見当がつかなかった。
そういう事が中学校卒業まで何回かあったので、友達とはその場限りのものだと思うようになっていき、自分から遠ざかることになる。
やっと親友と呼べる友達が出来たのは高校三年生になってからだけど、私は自分のことは何にも話さなかった気がする。
話すと親友が離れていくような気がして…。
母親や友達の心が離れるのは私になんらかの原因があるに違いない。でも関わっていたいと心の中が葛藤する。
答えのでないまま、私が母親という立場になり、私は両親のように子供達に不憫な思いはさせない!いつまでも明るい家庭を持ち続けるんだ!って心に誓った。
が、子供達はいろんな事をしでかしてくれ、学校から何度もお呼び出しがかかるし、授業放棄して遊んでいたり。
何回彼らに泣かされて落ち込んでも結局彼らに救われた。
あれ?なんなん、それって(-.-;)
でも、それでよかった。それがよかった。それが私がずっと欲しかった家族であり家庭だった。
そして、一人またひとりと家族が増えて一段と楽しくなることを夢見ていた。
が、振り返ると環境や状況が違うとしても、私は母親と同じ道を歩いている気がしてならない。
ということは…。
私の今後もすでに見えている。それがいいのかどうかは私次第かな。
がんばれ!わたしo(^-^)o
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[2008/09/15 18:09]
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[2008/09/15 20:08]
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