今日の私は何色かしら?いつも明るく笑っていたいと思う。。。

自分で考える意味
この間から痛かった右目も点眼の回数をいつもより増やしたことでなんとか治まってきている。

たかが目だけど、痛いというのは困るねえ。

この右目は、脳腫瘍手術後だんだんと新聞の字が見えなくなって、鏡でよーく自分の目を見るとなんか白い点のようなものがあって、近所の眼科を受診したら、よく分からなくて、ちょっとした傷だろうから様子を見るしかないと言われ、痛くも痒くもないのでそのまま放置していると、その目の白い点がどんどん広がって、白から黄色がかった色に変わってきた。

おっかしいなぁ。。。

それに、見えない部分も増えてきたし。

で、もう一度同じ眼科で診察してもらうと、考えられるのは脳腫瘍の手術をした時、なんらかの薬(消毒液とか?)が流れて目に入ったか、手術中に顔面神経痛が起きて手術中の長時間目が開きっぱなしになって角膜が乾いたのではないかということだった。

そして、角膜移植という方法があるけれど、当時は黒目の3分の一くらいの混濁でも、もう移植手術をするのは手遅れで、移植をしたところで視力が戻る可能性は極めて低く、失明の可能性を考えると今のままでいいのではないかと言われた。

また、ドナーを待つのは何年もかかるし、見つからないかもしれないし、とも。

そう言われれば確かにそうだし、それ以上の事を望むということもなかった。見えずらいということよりも、小脳をいじったので平衡感覚がなく、歩いていても右に左にとよたよたしてるし、緊張すればするほどふらつきが激しくなる。階段の昇り降り、特に下りる方はいまだに怖くて手すりがないとチョットしたことで転んでしまう。

だから、右目の視力が多少悪くてもなんてことはなかったんだけど、その混濁した部分が黒目の大半を占めるようになってからは、ぐんと視力が落ち(というより、すりガラスを通してみているようなので、白黒のぼんやりした何かが見える程度になってしまった)左右の遠近感が激しく違うから、余計に平衡感覚もなくなった、自転車にも乗れなくなった、物が転がった場所によっては片目でしか見えなくてそれが右目の場合だとなんにも見えない。

こんなに見えない事が苦痛だとは思ってもみなかった・・・。



そして、その目が半年に1回くらいは痛くなり、その度に目薬をもらった。

私は土着民族?ではなく引越しを何回か繰り返していたので、行く先々で目が痛くなると、最初に診断されたとおりの話をして、同じような薬をもらう。

痛みの原因を自分なりに考えると、砂ぼこりやまつげが目に入ったりすると痛くなるような気がしていたが、医者の誰もが特別原因探しをするなんてなかった。


それが、地元に戻って脊髄空洞症が見つかって、他のいろんなところも検査する中で、反対の左目に血管腫瘍も見つかった。

でも、それはまだ小さいのでレーザーで焼く必要もないだろうと言われて安心したけど、右目は十分気をつけないといけないと言う。
角膜に穴が空きそうなので気をつけるようにとだけしか言ってくれない。もちろん角膜移植の話などもない。

なのにいまさら何をどう気をつければいいんだ?


まぁ、どうにかなったらなった時に考えるしかないや。今更失明ですとか言われても見えないに等しいのでどーってこともないとも思った。


が、痛みを繰り返しながら薬をもらいにいった病院では、先生が興奮するくらい切羽詰った状態で、すぐ大学病院に行くよう指示をする。

ん〜・・・。相方の体調が最悪だったからためらったけど、私に異常があれば共倒れになってしまうので、なんとか相方には我慢してもらって大学病院に通院することになった。

すぐ角膜移植・・・とも言われたが、まずは混濁した原因を見つけないといけないと言う。




脊髄空洞症が判明したときも、脳外科医が病気の性質上空洞症だけができるものではなく、それを作り出す元があるはずだからと検査検査の日を送ってやっと血管芽腫の存在が確認でき、そこから治療がスタートしたときとおんなじだった。

結局、空洞症が小さくなっていくだけの手術にとどめたので、脊髄の中には血管芽腫がそのまんま生きている。空洞症もどれだけ小さくなったかわからない。

けれど、それでよかった。「痛み」という後遺症は残ったけれど、下半身不随にはならなかったから。術後の生活をする上で最小限のリスクで抑えたかった。先生も私の意向を十分理解してくれての執刀だった。


それと同じで、眼科の先生もいろんな検査をし、結果角膜ヘルペスと診断された。最初の混濁はそれかどうかわからないし、何度も痛くなったときもこの先生に診察してもらった訳ではないので、終わったことはわからないけど、今回の場合は角膜ヘルペスだった。

先生はすぐにでも角膜移植はしたほうがいいけれど、ヘルペスが完治しないまま、または再発するのですぐ移植してもヘルペスを繰り返すと手術をした意味がなくなってしまうので、しばらく様子をみる間、しかり考えてくださいと言った。あくまでも自分の事だから自分で納得のいく形にしてくださいと。

それによって先生も私の納得できる治療をするからと。

もしそれまでに穴が空いてしまったら緊急手術をしますから、と。

その場合の手術がどんなものでその後どうなるのかもしつこいほど聞いて答えてもらった。

そのとき、この先生は信用できる人だな、任せても安心できる人だなって感じた。

なので半年間治療し続け、角膜移植の申し込みまでこぎつけ、ドナーが見つかり、手術を受けた。


医者って結局自分が分からなかったら、適当にこれだろうと病名をつけるか、あるいはなんでも試して成功したらラッキーであって、患者の心や今後の生活まで考えてくれる人は少ないんだと思う。私の個人的な思いと偏見だけど。

だから、自分の体の事だから、しっかりと医者の説明と治療方法とどういう手段や可能性があるのか、納得いくまで話をして、そして自分で後悔のないように決断をしなければいけないということだ。

あのとき、先生がこうしましょうと言ったから・・・なんて通用しない。医者と言うものは何でもいいから「治療をする義務」があるので、そのマニュアルどおりにすれば医者としての仕事は全うしたことになる。

その見極めが患者自身にあり、どういう治療を受けるか自分で選択しなくちゃいけないんだと思う。自分が後悔しないためにも。医者や相談相手のせいにしないためにも・・・。

なので、私の右目はいまだに視力も出ないし、乱視が激しく外傷性の白内障もあるので、今後どうすればいいか自分でしっかりと考えようと思う。


でも、角膜に穴が空く可能性はぐんと減ったので、それだけでも安心できる。注意する点はいろいろあるけど、きちんと守ればもらった角膜も元気でいてくれるだろう。



角膜移植をしますか?どうしますか?視力の期待は薄いし、手術後目が何かにぶつかると、結局縫い合わせただけのものだから、弱いのは弱いですよ。ただ、今すぐに穴が空くことはなくなります・・・。

そう言われて、手術中の不安や手術がうまくいかなかったら、拒絶反応が激しく出たらと不安がいっぱいで、今でも拒絶反応が出てくる可能性はあるそうだけど、私は以前よりも丈夫な角膜になることを選んだので、今後何かあっても後悔はしない。

自分で考えて自分で出した答えだから・・・。

今は抜糸も終わっていないのでとにかくもらった角膜を大切にする事が一番かな。



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ほたるの思い出

この間の陽が落ちた頃、いつもの散歩コースの川の土手に咲いているオシロイバナを見に行った。

と、いうのもオシロイバナって夕方から咲き始めて早朝にはしぼんでしまうらしく、その土手に野生化し群生してるのを少しもらってきて、ペットボトルにさして台所に置いていると、昼間ちっとも咲かなかったそれが夕方には見事に咲いているんだわ。

へぇ〜?こんなんあり〜?って相方に聞くと「アリなんだって〜」って言うじゃん。

ほな、見ないわけにはいかんじゃん!

いっつも同じところを散歩しているのに、花が咲いてない葉っぱだけを見ても仕方ないじゃんねえ〜。

と、言うわけで思いたったらすぐ行動。こんなときだけすぐ動く・・・。って、誰が?(言わないけど、まぁそこら辺の人?)

懐中電灯を持って夜のお散歩ですよ。車椅子、初めての夜の外出〜。

サイクリングロードを進むと、あった!あった!赤も黄色も白色も咲いてるっ!きれいだねぇ・・・。

って、懐中電灯で照らさないと見えないんですが^^;

夕方から翌朝まで咲くオシロイバナ


しばらく見入って家に帰った。ヨは満足じゃ♪沈んでた気持ちがその時だけでも浮上した。


それから昨夜の事、何を思ったのか相方が「ホタルの時期は終わったよね?」と聞くので、「たぶん終わってるよ〜。実家の方にでも行けばまだいるかどうかってところじゃない?」って答えると「やっぱりそうだよね」って。

でも、なんで今ごろホタル?

オシロイバナを見に行ってから、夜も出歩ける自信がついたようで、もしホタルがあの川にいるなら時間を後らせると見えるんじゃないかと思ったそうで・・・。

あの〜、チミは山の子でっしゃろ?実家の細い谷川にむかぁしホタルはいたよね?ああいうきれいな川じゃないといませんよ〜(゜o゜)

こんな町だか田舎だか中途半端なところなんぞには、ね!(笑)

夕暮れの散歩みち



そしてホタルの思い出話になった。

私の一番の思い出は、21歳の脳腫瘍・頚椎腫瘍の摘出手術をしたとき。

3個あったそれらは他の血管に近すぎたことや、視神経に1mmほども余裕がなかったことなどで、大変な手術になるらしかったが、腕のいいDr.が執刀してくれたので「命」も助かった。


私はその前後の記憶がほとんどないので詳しくはわからず、のちにそう教えてもらったんだけど。

何本かの輸血をしたため、肝臓の数値が何百倍にもあがり何週間も高熱と黄疸とむくみで苦しかったことは覚えている。

そんなある日、誰だったか1匹のホタルを虫かごに入れて持ってきてくれた。私は頭を動かす事ができなかったし、見るものすべてが二重に見えたりしていたので、残念だけど夜になるとホタルが光っていた記憶さえない。

ううん、昼間もその姿を見たことはないかな。

1人の若い主治医が昆虫好きで、捕獲された?ホタルの命を少しでも長引かせようと、病室に来ては世話をしてくれていたのを思い出す。その先生の笑顔と、昆虫の話だけを。時には昆虫アルバムみたいなものも見せてくれた気がする。

虫かごの中に脱脂綿を濡らしてその上に角砂糖を1つ乗せておくとその甘い汁をホタルが吸って生きるそうで、ホタルも先生が世話をしてくれるから、結構長い間生きていたらしい。


あの時は人であれ、虫であれ、生きているものの命の尊さを教えられた。

幼少の頃から高校を卒業するまで、何度も「死にたい」と思っていた自分が、人の・・・いろんな人の手を借りて生かされた瞬間がよみがえる。

死んでしまったら、何にも残らないよって。いつも誰かが側にいてくれるよって。


今も苦しいことはたくさんあるけれど、生きているからそういった感情があり、それがあるから人の気持ちにも寄り添える。

反対に一瞬の楽しさや嬉しさもないわけではない。いや、絶対にあるんだ・・・。

その一瞬を心から願えばまた次の楽しさや嬉しさがやってくるし、誰かと一緒に笑える。誰かを喜ばせてもあげられる。

生きていれば・・・の話だよ。

だから、苦しくても悲しくても「生きなくっちゃいけない」、命がある限り・・・。


そんなことを再確認させられたホタルの思い出でした。

ちゃんちゃん!!:*.;".*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*:



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少しずつ元気

少しずつ、体調が良くなって、気持ちも浮上していている・・・かな。

お昼寝をしないようにしないと、起きた時のしんどさやだるさは相変わらずひどいので、頑張って起きて何かしていなきゃ体だけじゃなく気持ちがしんどい。

昨日は家の南側の芝生が通路にはみ出ていて、いつもそこで相方の車椅子のタイヤがスリップして動かなくなるので、はみ出ている部分を刈り取った。

ハサミでチョキチョキと上から要らない部分に切れ目を入れて、石畳部分に長い柄の草刈りを隙間からさし込みグッグッとはがしていった。

お隣さんがこの間やっていたのを見て、結構簡単そうだったので、軽々とできるぞ!なんて思ったのが間違いだった・・・。

明らかにお隣さんより私の家側の方が芝生の量が多く、重かった・・・うぇ〜んo( _ _ )o ショボーン

でも、やり始めると途中でやめるわけにはいかない。そこを通る人だっているし、子供がそれらにつまづいて転んだりすると可哀想だし。

が、力というものはその日その日で限界があるのだと実感した。一応全部はがしたものの、芝と土に分ける作業の辛いことったらありゃしない。

なので、半分やって半分は今日やろうと端っこに置いていると・・・、いらない人がいると思えば欲しいという人がいて、今日の夕方近所のおじさんが駐車場の所に敷きたいので持ってっていい?って言う。な〜んだ、ドーゾ、ドーゾ♪

昨日の分もとっといてあげればよかったかな^^;

すっごく嬉しくておじさんが天使に見えたよ・・・なんて♪

でも、昨日からの作業を外に出てきて見ていた相方は、私のしんどさと同じくらい、それ以上に気持ちがしんどかっただろうなと思う。代われるものなら代わってあげるのに・・・って。

「疲れるからもうやめれば」って言ってくれているのに、半分以上が意地になってやっているんだもん、わたしρ(-ε- ) イジイジ

本当に意地っ張りというか、可愛げがないというか、憎たらしいというか。

バカの一言だよ〜。


けど、そこまで意地を張ったから夕飯も作れたし?

昨夜は、今朝9時からなんかの工事で断水になるというので、夜な夜な洗濯機を回したり、いざというときのために浴槽や鍋に水を入れておいたし?

相方がベッドに移ったらホッと安心するので用事もはかどるんだよね。

断水準備とりあえずOKで、午前2時に就寝。

本当はもっと早く眠れたはずだけど、夜中に目が覚めてしんどさや痛みを感じるのがこわいから、眠くなるぎりぎりまで起きていたいというのが本音。

どっちにしても、朝起きると「疲れた・・・」で始まるんだけど(ーー;)

それって、どーよ。疲れを取るために眠るのに、眠って疲れるってありかよっ!!


ま、だんだんと元気を取り戻しつつある。

あとは、散歩に出た時、もう少し体力が欲しいかな。

今日はせっかく外のおいしい空気を吸って、爽やかな風や川の音が気持ちいいのに、途中で歩くのが苦痛になった。

家に帰ると、ぐた〜っとなるのでしばらく休んで、お昼に作っておいたおにぎりと昨夜の残り物で夕飯を済ませた。



今夜もやっぱり早くは眠れそうにないかなぁ・・・。痛みがこなければいいんだけど、夜中にしんどかったら心細くなってくる・・・。

人も景色も、すべてのものが「暗い」っていうのはいけないね。

でもわたし、元気だからねっ!!フフフ ( ̄+ー ̄)キラーン


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神の手

いきなりだけど、今夜10時25分からNHK総合テレビで『ドキュメント にっぽんの現場「いのちの約束〜北大病院・澤村先生と子供たち〜」』というのがある。

澤村先生は、「小児脳腫瘍治療の第一人者」あるいは「小児脳腫瘍治療の神」とでも言おうか・・・。


と、いうのはまさにその先生に相方は2度も助けられたから(^_^)



緩和ケア病棟に入院していた相方の言動がおかしくなって、最初はモルヒネ投与の副作用だと思っていたのだが、なんかおかしい・・・。

絶対おかしい。

認知症のようなもっとちがうボケのような、とにかくよくわかんないけど薬のせいではないと思い、Dr.に相談すると当日すぐ頭部MRIの検査を受けることになった。

そして結果はというと「小脳腫瘍が入院時よりも一回り大きくなっています」というものだった。

って、なんじゃそれ?聞いてないよ!!

不安な時・・・


そもそもその病院に入院したのは足の痛みを少しでも緩和することが目的だった。

その時の厚生労働省の指導では「末期がんのひとが最期を迎えるまで痛みがないように生活できる場」として設けられ、相方が何故そこに入院できたかというのは、相方の病気が悪性でも良性でも「腫瘍」そのものができる病気で、現実よからぬものは今でも体内に潜んでいるから。

が、入院したものの目的の「足の痛みの軽減」はほとんどできず、ならばせめて眠れない日々を夜中だけでも眠れるようにしようとのことだった。

そんな中のMRIの結果。

私も本人も他の症状や病気は聞いているけれど、小脳腫瘍については全く聞いていなかったので、ただただ愕然とするだけ。

そして、脳神経科医が「あと半年・・・いや3ヶ月・・。それが分かっていてここに入院したんでしょ?ん〜、もしかしたら1週間も持たないかも。」と、きっぱりと私に言った言葉は今でも忘れられない。

また、その「小脳腫瘍を摘出するのは日本中どこを探してもいませんよ!」と追い討ちをかけるように言い放った。

そんなばかな・・・。脳腫瘍があったらあったで事実を言って欲しかった。


その数年前、「澤村先生」の手によって小脳腫瘍がきれいにとれた。やっぱり「日本中どこを探しても手術などできる医者はいない」と見放されたのに。

今回、すでに見当識障害がでている相方に「もし、澤村先生が手術できると言ってくれたら行く?」って聞くと、「腫瘍がとれるなら行くよ」と言う。それは本当に心から思っていることなのか、口から勝手に出た言葉なのかは不明だけど、私が後悔したくなかった。

すぐ先生に連絡をとり画像を見てもらうと「難しい手術だけど、技術的には可能ですよ。ただ、手術中やそのあとなにが起きても不思議ではありませんので、それが覚悟できるならすぐに来てください」との返事だった。

選択肢は二つに一つ。少しでも摘出できる可能性があるなら行こうと思った。あと1週間の余命かをとるか?一か八かの希望をとるか?

先生の「技術的には可能」の言葉に私はどれだけ勇気をもらったことか。もう、生きるか死ぬかのどっちしかない。真ん中はない。だったらダメ元でもいい、やれることはやろう、それなら諦めもつく・・・と。


手術直後、待合室に向かってきた先生の笑顔はとてもすがすがしいものだった。

安心のとき。鮮やかに咲く花

あの時頑張って行って良かった・・・(^_^)

日本中、探せば必ず良い医者はいるんだ・・・。




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医療体制に思うこと
最近、お腹の調子が悪くて、食べると下痢をするので疲れる。

そうじゃなくても、花粉症でしんどいのに、ついてないなぁ。

この下痢は冷えからきているか、急いで食べるからのどっちかだと思うけど、嫌な予感も捨てきれない。

ま、自分で悪い方に考えるとたいてい間違っているので、嫌な予感とやらは大ハズレなんだけどね。

あんまり治らないようなら検査にでも行くとするかな。


私の病気の場合は、経過をみるため、あるいは早期発見、早期治療のために診察や検査を受ける科が多い。

いつも思っている事だけど、一つの総合病院内で脳外科、内科、眼科…などなどを受診するにしても、診療科ごとに病院が違うにしろ、カルテやMRI写真の共有をしてもらいたい。

半年に一度のペースで、それぞれの科で診察、検査をしていた頃(ホントは今でも行った方がいいんだろうけど)、いつも「内科ではどう言われていますか?」とか「脳外科の方はいかがですか?眼科は?泌尿器科は?」と尋ねられるのでいちいち同じ事を何回も話さなきゃいけない。

同じ日にいくつかまとめて診察できればいいけどそうはいかないし、いくら半年に一度と言っても診察科が増えたり異常が見つかれば結局病院ばかり行くことになる。

また病気の事が書かれたパンフレットや血液検査の結果用紙を持ち歩いて他の診療科に見せて説明したりなので、これも結構時間がかかり苦痛に思う事さえある。

だから、どこの科を受診しても医師同士でカルテを共有してくれれば時間短縮にもなるし、病気の情報が多いほど医師の知識を増やし、治療方法の確立にも役立つのでは?と、思うんだけど。


それと、医師と患者の相性もあり、いくら腕のいい医師であっても、そこに信頼関係がないと私は自分の体を任せようとは思わない。
そこでセカンドオピニオンが必要になってくる。
セカンドオピニオンという言葉はもう何年も前から言われているけど、いまだに自分の患者を手放したくない医者がごろごろといるのには驚かされる現実。

もっと気軽に納得できる治療を受けたいし、医者も選びたい。

医者が患者を選ぶのではなくて、患者が医者を選んでいい権利はあるはずだ。

難病と言われ、病名も知らない、教科書でみたことはある程度の知識なら、自分の研究材料にはもってこいで、上司からもらう意見や知識も必要だろうけど、横社会での医師の情報交換も十分アリだと思う。

それが、本当の医師の役目ではないかと。

専門家のトップだけが情報を共有するだけでは、末端の一番大事な患者は病院探し医師探しにたどり着くまで相当な時間と労力を要する。

とても先進国の医療体制とは思えず、早い医療体制改革を望んでいる。

ただ、「カルテ共有」は今も変わらず願うけど、診療科で自分の体の状態がどうであるかということは、やはり人任せにすることなく患者本人が面倒でも説明出来なければいけないと、今これを書きながら感じた。

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万能さん
息子が言った。

「お母さん、知らんのぉ〜?」って。

なんがじゃいな?

京都大学の何とか先生という人が「万能遺伝子」を見つけたのだと。

う〜ん。 知らん・・・^^;

息子が言うには、ほんとかどうかヤツもよく理解していないようだけど、人間には皮膚でも臓器でも約三万個ずつ遺伝子があって、そのどこかにたった三個だけ何にでも変身できる?遺伝子が見つかったのだという。

例えば、皮膚会社と言うのがあって、そこのお偉いさんが三万個もの遺伝子に仕事をさせていたんだけれど、そいつらが怠けて仕事をしなくなったら、万能遺伝子さんにちょいと来てやっておくんなさいな、って言えば「ハイハイ、承知しやした!」とやってきて、仕事が出来ていない皮膚会社の建て直しをするというものらしい。

ホンマかいな。

いや〜、もしかして私の聞き間違いかも知れないけど・・・(^_^;)


「だから、お母さん心配せんでもそのうちなんとかなるから。それにアンタは長生きするだろうから大丈夫じゃろー」っだって。

ふむふむ。そーかも知れん。「百歳!百歳!」って何年か前に金さん銀さんがテレビCMで言ってたのを思い出し、私もその口かぁ〜?なんて・・・^^;

って、全然話が違うんですけど?


けど、そのたった三個の万能さんがすっ飛んできてくれるようになるにはまだまだ・・・ずっと先の先の話しだとも言う。だから「百歳!百歳!」か(・・?

小耳に挟んだ話だとその万能さんは京都大学の先生よりも以前にどこかの製薬会社がすでに見つけていたともいわれている。

そして、倫理的な問題もあり万能さんが活躍できるようになるのは、いや活躍できなくて抹殺されるおそれだってあるわけで、私が百歳まで生きてはいたくないけど、もし生きていたとしてもハテ?万能さんに活躍してもらおうとは思わないよ。


それを言うなら、息子よ自分の事を考えろ〜。結婚して子供が授かったときの事を考えろ〜(^O^)/

その万能さんに活躍してもらうのは私の子孫の子孫のそのまた子孫の・・・っていつまで続けようか、まぁ、あるところまでいったら私のように何度も手術しないですむようにしてもらいたいもんだと思う。


その話をした長男が高校生で二男が中学生だった時、二男がコンビニでドナーカードというものをもらってきていて、自分が死んだら人のためになりたいと言ったことがあり、それを自慢して見せた。

と、そのカードを見た長男もポケットの財布から同じカードを出して「オレだって持ってるよ」と話をしている。というか、お互い自分の体のどこを登録しようか?ってな話まで楽しそうにしていた。

私は胸が痛かった。彼らには当時何にも病気の事については話してなかったから。

二男が「これに名前を書いていい?」と私に聞くので「自分がそうしたいのならいいんじゃない?」と言い、「でも、それを持っていてもいざ誰かのために解剖してもいいですか?って医者が聞くのは家族なんだよ。本人はもうこの世にいないもんねぇ。もし、その時結婚していたら奥さんに尋ねることになって奥さんがイヤだって言ったらそのカードは無効になるんだって」と話した。

分かったような納得できないような「ふ〜ぅん」とだけ返事をしたのを覚えている。


それから2年。

彼らはジュース欲しさに「献血」を何度かしていて(あの、動機が不純なんですけど!)でも、それも人のためになるんだったらいいんでないのって思い、何も言わなかった。

が、人のためにしてあげられるのは「献血」と「アイバンク登録」だけで、他のものは提供できないことを知ることになる。

二男、高校二年生だったかな。17歳で自分が私と同じ病気になる、あるいは同じ手術をしなければいけなくなることを受け入れるには辛かった歳だったと思う。

そして、私が病院に通うときは誰かが検査をするという形で一緒に行った。長女も長男も結構ポジティブに考えていて、どうにかなったらなった時に考えればいいという。たぶん、そんな簡単に受け入れたのではなくて、私が子供達に責任を感じていることへの気遣いなんだけど。

私が病気になったのは誰のせいでもなくたまたま宝くじが当たったようなもので、それが自分たちに降りかかってくることもたまたまなんだから気にしなくていいから、って。

ただ、二男だけは現実的で主治医にこう言った。

「検査、検査じゃなくて、遺伝子そのものを正常化して欲しい」と・・・。

この言葉は今でも私の脳裏に焼きついている。今ではこの二男が一児の父親になっているが、お嫁ちゃんもご両親も病気については理解してくれていて、子供を作るということも十分話し合った結果だと言い、同じ病気になっても頑張って育てると言っていた。

強くなったなぁ。。。

そんなことを思い出していると、長男が言っている万能さんとやらはもしかして二男の子供が成長した頃には「ヨッシャ!任せときぃ!」って言ってくれるかも知れない。

だから、最初から「無理」だなんて思わないでいようと思う。

子供達みんなの事も心配だけどその子供達の事も同じように心配だから。

それよりも、その万能さんが彼らに大きな症状が出る前に頑張って欲しいと思った。


※コメントを下さる皆様へ
いつも励ましてくださってありがとうございます。
オール了解です!!みなさんの言葉をしかと受け止めマイペースでやっていこうと思います♪
中々コメント返しができなくてごめんなさい。
中々遊びにいけなくてごめんなさい。
もうしばらく、待っていてくださいね〜(^_^)


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しんどくて
携帯でポチポチすることがしんどくなってきた。

長く書こうと思うほど億劫で、十七文字を並べるのがやっとかなぁ…。

なので、今は何にもしたくない。と言うか、笑顔さえないよ。

胸から背中にかけての表面の痺れとそれに伴って脊髄内から込み上げてくる言い難い苦しさ、また内臓の血管腫瘍が原因なのかお腹にたまるような食事などは欲しくなくて作る元気も出て来ない。

しゃべりたくなくて、自分だけの世界に浸っていたいというか、いろんな事を考えて一つずつ整理していかなくちゃ、と言う気持ちばかりが急いている。

この三ヶ月間で、ウソのように相方はいろんな事ができるようになってきたので、本当に嬉しくて有り難いと思う。

しかし、自分の事はどこかに置いて無我夢中でやってきた私にいざ時間ができると、今まで隠れていた「しんどい病」があれ?あれ?と出てきて、いつの間にかずっと以前の凄くしんどい時期と同じようになっている。

これを横着と言われればそうかもしれなくて、もっと頑張らなくてはいけないと思うけど、体も気持ちも動かないでいる。

この事で嫌な思いをするのはもうたくさんだし、だからと言って無理はしたくない。

わがままだけど私の、私なりの「自由」が欲しい。

誰のためでもなく自分のためにと、そう考えるのはまだまだ先の話だろうか…。

※コメント返しが中々出来なくてごめんなさい。




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私でいるために
ふと…思う。今幸せなのに「淋しいな」って。

こんな事を思う私は贅沢だってわかっているのにね。

いつだったかお友達サイトに書かれていた文章の中に「あるがままの自分でいれば苦しくない。苦しいのは無理をするから…」みたいな言葉があった。


とても印象深くて胸を突き刺された気持ちだったとも思う。


なんか自分のブログタイトルそのままじゃん!

なのに胸が痛むというのは、私が私じゃなくてカッコイイ言葉を並べているだけの自分がいるのだと呆れた(-.-;)


タイトル通りの気持ちでいるだろうか?そうでないとすれば無理をしているのだろうか?

よくわからない。この「よくわからない」というのも、彼は「分かれば簡単な事だよ」とも言う。


一つずつたどっていけば、私はわざと考えないようにしている所に行き着く。

無理をしているのも「私」でわからないなどと、うやむやにしているのも「私」なんだ。


誰のせいでもなく自分の気持ちをどこに置くか?ということだろう。


以前の私は自分の病気に対し心身共に悩み苦しんだ。誰かに看病してもらうとか、私が病気であるために周りの人に迷惑をかけてしまうとか、そういう事ではなくもっと根本的な病気の性質というものかな。


私一人が苦しむのは時間が経てば諦める事ができるけどそうじゃないから厄介なのだと。


例えば子供達が苦しむようになった時、側にもいてやれない。もう大人なんだから自分の事くらい自分で考える力はあるだろうけれど、仕方ないと割り切れない私がいる。

その背景にいつ会えるかあてもないこと、もし会えたとしてもたかが数時間。その先はというと、これまた機会が遠のく事だろう。

私がヨボヨボのお婆さんになり、側にいてやれるというより側で厄介になるというものだったら意味がない。


それと話しがぐるーっと回ってしまったけど、いまだにここには話し相手も友人もいない。

久しぶりだね、なんてやって来る人も電話で話す人も…。


待っているより自分からアプローチすれば電話くらいできるであろう。なのに、あえてしなくて「淋しい」だなんてよく言ったものだよ。


ここにも複雑な気持ちが行ったり来たりしていて、私の居場所さえ塀を高く積み重ねようとしている。


きっと無理をしているのだろうが、それが「私」で、淋しさの中にいるのも「私」が選んでいる事なんよ。

ったく!始末の悪い「わたし」だよ^^;



ま、いつも思っている事じゃないから、たまには訳のわからん意味不明な事を言ってもいいだろう。


なぁんてね( ̄▽ ̄;)



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ついに!
ここ数日の、ふわふわ〜ふわふわ〜と体が宙に浮いた感じはてっきり低血圧のせいだと思っていたけど、今日の訪問入浴の看護師さんに尋ねると、もしかして更年期障害じゃない?って言われた。

んぎゃ!うっそー!…とうとう私にもそういう日がきたのかぁ^^;

いやだなぁ…。知ってる人から聞いていた更年期障害とやらの症状とは違うのでもっと先の事だろうと思っていたのに、考えてみるとそーかも知れない。

んぎゃ!ただただこれしか出てこんよ…。

なぁんだ、と言っていいのか?何と言っていいのか?ちょっとバツが悪いような感じ


入浴が終わる頃看護師さんが血圧を測ってくれたらやつぱり76ほどしかなく、せめて100弱あればいいのにねぇ、って言ってくれた。
どっちにしろなんでもいいから早く治りますようにぃ。はふぅ…。


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お守り
20080115203922
朝から体調が優れない。どうもふわふわ宙に浮いたような感じで目眩もする。

うーん、いやだなぁ。

今日はゴミ置場のお掃除当番でゴミ収集車が帰った後、階上の人から回って来たホウキとチリトリを持っていざお掃除へ。

でも、みんなマナーがいいので掃除するほどではなく広がっているネットをくるくる巻いて数ヵ所紐で縛って終わり。次のお宅へ持って行ったら留守だったので今夜出直ししなきゃ。

こうやって何かをやっていれば目眩がするとか言ってられないけど、お昼頃デジカメ持って撮影会?と買い物に行く話しになり、デジカメの取説を読んでいたら字がゆらゆら揺れてちゃんと読めない!
なんか体もだるいし…。でも相方が外に出るのは数日ぶりだし、明後日はお客さんが来るというので買えるものは買っておかなきゃ。

ちょっとふらふらしながら川で遊んでるカモを撮ったり風景を撮ったりしたけど、最近感動するものがなくなった。もう全部見慣れたのかなぁ?

無事買い物を済ませ帰って昼食を作っているとやっぱり変。目眩が〜(>_<)

ご飯食べて相方が洗いものをしてくれたので血圧を測ったら78/54だったので納得。低いのが普通でこればっかりは仕方ないけど、こう激しかったら憂鬱で相方のベッドを占領して二時間ほど休んだ。

けど、良かった事もあった。娘から初詣のお土産と健康祈願のお守りが届いた!ウレシイ〜♪

お礼のメールをしたら俄然頑張れる気がしたよ。

単純だね(^^)



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苦手な冬
変なお天気で憂鬱な一日。頭の中じゃ掃除しなきゃとかお正月の準備しなきゃと分かっているのに体が動かない。お腹も空かないから昼食なんて何がご飯だったのか不明じゃん!

お正月の煮豆を作るため水に浸したままだし、お煮しめだって材料がまだ揃ってない。

明日こそ、明日こそと買い物リストを考えようと思いながらすでに今年は終わろうとしてるし。

スーパーに行く元気もない。ふぅ…。

相方は相方で手の掛からないようにと気遣かってくれてるようだけどそれさえ面倒で逆に急かされているようにも感じてしまう。

そんなこと思っていないのにね…。

こんな事を考える私が情けない。

なんとか食べる準備をするだけでも頑張らなくちゃ。

それにしても寒さ冷たさがきつい。毎年の事ながら冬はやっぱりいやだなぁ…。

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振り返って
ま、ま、孫が産まれたぁ!私にとっては初孫で、写メを送ってもらってデレ〜っとしている。

長男、長女が早く結婚していればもっと早く40代前半でおばあちゃんになっていたかも知れないけど、考えてみれば今が1番いい時期だったかもね。

この10年間でいろんな事がありすぎた。病気で言えば突発性難聴になり左耳の聴力を失い、脊髄血管芽腫による手術をし、肝臓・膵臓の腫瘍も見つかった。

それらが難病であることや、家族性であることを知りずいぶん苦しみ悩みもした。子供達になんて説明しようか二年もかかったし…。
自分自身のしんどさも加わり家族や身内を巻き込んでわがままを通したりもした。

そして今回角膜移植手術もした。

その矢先、一ヶ月早く生まれるかもしれないと次男からの電話で心配したけど、無事今日の午後自然分娩で2500グラムの女の子がこの世に生命を落とした。
私は何にもしてあげられないけど、今の時期ならいろんな経験を通して何らかのアドレスができる事があるのではないかと思ってる。
息子夫婦の心配事や不安な事。できるだけ力になるからね!

50歳が近くなり、やっと大人の自覚ができつつあるように思う。もっと早く大人になっていなきゃいけないのに…。

これも「天然〜」ということで目をつむってちょ。

そうだ!呼び名は「おばあちゃん」じゃなく「momiちゃん」って呼ばせようっと。

この10年を振り返って最高に幸せな気持ちになっている。ありがとう、赤ちゃん!息子夫婦を選んでくれて。

いつから?
ふと、思った…。特に最近ごろごろと暇さえあれば横になっている。

先週は家の事もあったから疲れているのかなって、夕食作りにも中々とりかかれないのかなって。

昨日は相方に、そんなに不機嫌になるなら引越しなどしなくていいよと言われた。

別に不機嫌な顔などしていないけど…。そう言えば脊髄腫瘍のオペをして以来、子供達に同じような事を言われ、「怒っているんじゃなくてしんどいの。背中が痛いの…」と言い家事などみんなにやってもらってたのを思い出した。

相方に話すと昨年は相方の手術のため一ヶ月北海道に行ったし、その前後も頑張りすぎたのではないか?と言う。それと相方の痛い苦しいが徐々にひどくなってきたから私自身身体の休養が出来ていないって。

そうかもね。きっとそうだね。

じゃあ、これからどうすればいい?引越しを考えるのをやめる?相方をほっとく?そんなんで私の痛みが消える事はなく、これからも痛みやしんどさとうまく付き合っていくしかないさ。

はぁ〜い!分かったら笑って笑ってぇ〜o(^-^)o

ひとりごと
夜明け前、ふっと目が覚めると発作が起きる直前だった。

薬を飲んで再び布団の中に戻る。いつもなら襲ってくる痛みにじっと固まって耐えているけど今日は様々な事が頭の中を駆け巡った。

夏休み、叔父に連れてってもらった海水浴場で遊んでいるといろんな放送が聞こえてくる。その中で「くじらじま、くじらじまです。え゛!」とちょっと年老いたおじさんの声が定期的に流れる。

どうやら海水浴場から近場の島にお客を運ぶ定期便の放送らしいが、おじさんのかすれた声と最後の何の意味をも持たない「え゛!」がすごくマッチしていて笑いが止まらなくて、放送が始まると同じように真似して「え゛!」と言ったものだ。

冬休み、祖母の家がまだ掘ごたつだった頃私と二歳のイトコがその中でお絵かきしながら生まれて数カ月のもう一人のイトコのお守りをしていた時大きな地震がやってきた。

慌てて上の子を抱きしめた時、畑仕事をしていた叔母が「二人で早くたんぼに出て!」と言いながら家の中に入ってきた。赤ちゃんは叔母が連れて出るからと。

急いで靴を履きびっくりしすぎて言葉が出ないその子を抱き抱えたままたんぼの中へと走った。川向こうの荒神様の石燈籠がズシンと音を立てて倒れた時は死ぬほど怖いと思ったっけ…。

春休み、最後の高校生活になる。早く社会人になりたくて早く家から出たくてと、そんな事ばかりを考えていた。

その頃すでに体がだるく朝起きられない、食欲もなく一日中食べなくてもいつも満腹感があった。

長期休暇は祖母の家で過ごしていたのでそんな私を見た祖母に横着ばかりするもんじゃない、とよく言われていたけど、後に脳腫瘍が少しずつ大きくなっていた兆候だったと頷けた。

…そんな幼い頃から今日までのあれこれが走馬灯のように頭の中で回っていた時間を過ごした朝だった。

最近おかしいぞ、わたし……。

しんどさ増えて
今日こそは振込みに行かなきゃと銀行に向かったものの歩いても歩いても到着しなくていつもの二倍位時間がかかったように感じた。

はふぅ〜。疲れがどんどんたまっていくような…。ん?普段と同じで何にもしていないのに(-.-;)

しっかりしろ〜!と喝をいれ用事を済ませ帰りはスーパーに寄って買い物。さてと、しばらく買い物していないので家にはお米もないしお茶もないし野菜も卵も…考えればあれもこれもないじゃん!

がぁ、よく考えて購入しなきゃ重くて持って帰れない。最小限にとどめて昼食と夕食の材料だけに。それでも結構重かったよ。

それに何を作ろうと思ったのか!材料だけは買ったのにへとへとで料理をする元気さえない。今日もまた横になっている時間の方が多かった私。

テレビの映像も聞こえてくる音も相方の苦しさも全部何かに包まれて消えていく。
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